仏教講座
<救済力養成講座>
<講義―1> 2016.1.26
人の人生は様々で、また様々な出来事が起こってきます。
命ということに注目してみても、短命な人もいれば、また長寿を全うするがいます。
健康で病気のない方もいれば、病気の問屋のような方もおられます。
若い頃、飛ぶ鳥を落とす勢いの人が中年になって没落するという話もよく耳にしますし、まったくうだつが上がらなかった人が、晩年成功し優雅な生活を謳歌している人もいます。
生まれつき財閥の生まれで人が羨むような裕福な生活をしている人が家族の愛に飢えていつも争いが絶えないような家庭があるかと思えば、貧乏で家族が多く六畳一部屋に住んでいるがお互いに寄り添って仲睦まじく思いやりに溢れた家庭もあります。
そしてある日、突然、婚約者を交通事故でなくす方もいらっしゃれば、白馬の騎士が現れ、幸せな結婚をするような方もいらっしゃる。
人の人生は、まことに不思議なものです。誰が人間の人生の出来事を操っているのでしょうか?
人生に様々な出来事が起こり、いいこともあれば、悪い出来事もある。
中国の『史記・南越列伝』(司馬遷著 BC91年)には、
「禍(わざわい)に因りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾(あざな)える縄の如し」とあり、また『漢書』(班昭著 AD90年頃)には「それ禍と福とは、何ぞ糾える縄に異ならん」とあります。ともに災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ、不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりするという意味です。
これとおなじような故事が中国前漢時代の思想書『淮南子(えなんじ)』(学者合作BC120年頃)に「塞翁(さいおう)が馬」とうのがあります。これは、
塞翁が馬の「塞翁」とは、北方の砦・塞(とりで)に住むとされた老人(翁)のことで、昔、中国の北方の塞に占いの得意な老人(塞翁)が住んでいた。
ある日、塞翁が飼っていた馬が逃げてしまったので、人々が慰めに行くと、塞翁は、
「これは幸いになるだろう」と言った。
数か月後、逃げた馬が立派な駿馬(しゅんめ)を連れて戻ってきたので、人々がお祝いに行くと、塞翁は「これは災いになるだろう」と言った。
塞翁の息子が駿馬に乗って遊んでいたら、落馬して足の骨を折ってしまったので、人々がお見舞いに行くと、塞翁は「これは幸いになるだろう」と言った。
その後、隣国との戦乱が起こり、若者たちはほとんど戦士したが、塞翁の息子は足を骨折していたため兵役から免がれて命が助かった。
この故事から、「幸(福・吉)と思えることが、後に不幸(禍・凶)となることもあり、またその逆もあることのたとえとして、「塞翁が馬」と言われるようになった。
また、「人間のあらゆること(人間の禍福)」を意味する「人間万事」を加えて、「人間万事 塞翁が馬」とも言われるようになりました。
このように、人間の人生の岐路において、様々な出来事が降りかかっています。凡夫の我々は、それらに一喜一憂するのが常であります。
しかしながら、その禍福糾える縄の如き禍福の出来事に、法則があるとしたらどうでしょうか?
その人生の真理、物事の出来事の宇宙の真理を見出されたのが釈尊であられました。釈尊は、こうおっしゃられています。
「真実甚深甚深甚深なり」(『法華三部経』 頁19 5行目』
釈尊は悟られた真理を活用し、複雑に絡み合った糸をまるで手品のように解きほぐし、あらゆる問題に解決の糸口を示してくださいました。そして、その真理を学び、実践して、多くの人が救われてきたのが仏教の歴史です。
釈尊が掴まれた宇宙の真理を学び、身に着けるのがこの「救済力養成講座」です。そしてその真理を活用し、あらゆる問題に解決の糸口を見いだせる人間になることが目的です。その暁には、どんなに複雑に絡み合った問題でも、どんなに困っている人がいても、私たちは自分の問題は勿論のこと、人を助けてあげられる境涯になっていることでしょう。
<初心の方から学べるように>
しかしながら救済力養成講座は、仏教、仏さまの教えを初めて学ぶ方も解りやすく理解できて、身に着けることを目標にして進めてまいります。故に、多少の知識のある方はまどろっこしいところもあるかもしれませんが、仏さまの教え=仏法の大事な言葉、一つ一つを解説しながら、確実に身に着けることを目指しています。
この講座の名前にあるように、救済力を養成することを目的とした講座です。救済力とは、人の悩み、苦しみを解決する力と言えます。つまり、仏さまの教えには、悩み、苦しみの解決方法があらゆる角度からふんだんに説かれているのが最大の特徴とも言えます。
それが釈尊の修行の目的でもあられたからです。
釈迦族の王子の立場を捨てられて、人間の悩み、苦しみ、生老病死から人間が救われるにはどうしたいいのか、人間として本当の幸せに到達するのはどうすればいいのか、思索を重ねられ修行に励まれ、掴まれた法によって、縁に触れた一人ひとりを救って、終生、人類の救われに献身された人生を送られました。今日、その釈尊生涯をかけた人さまの救われのために説かれた教え=仏法が、仏教として残っているのです。
つまり、私たちが仏法を学ぶ、その意味するところは、私たちの修行次第ではとてつもない能力(仏さまと同じ力)を身に着けられるということを意味しています。
それに相応しい能力を備えていく、その順序次第を説かれているのが仏法ともいえるのです。故に、釈尊が説かれた教えに則って、その順序次第を一段一段階段を上るように確実に進んでいくということがとても大事になってきます。
そのことを釈尊は、「法の如く修行し」(『上掲』頁32行2)と何度も繰り返して協調しておられ、「経典を聞いて説の如く修行せば・・・」(『上掲書』頁345行2)と念を押しておられます。
つまり、真理を身に着けるには、自分流を一切入れてはいけない、修行は釈尊と説かれたとおりに学び、実践するということが大事であることが教えられています。
その能力を身に着けるに、何を目指して修行するのかが法華三部経に説かれています。それが仏眼です。すべての物事を見通す能力、六神通力とも言いますが、まるでレントゲンのように見えない物事の奥にあるがん細胞を浮かび上がらせるように、普通の人では見えない、物事の奥底にあるものが見通せてしまう、それを仏の智慧といいます。それを身に着けると仏の智慧=仏眼を身に着けたこととなり、あらゆるもののありのままが手に取るように分かるようになる、それを仏法の言葉で『諸法実相』といいますが、ものごとのありのまま、すべてを見通す=諸法実相が我が眼となる。つまり仏眼を見に着けたことになるのです。
『法華三部経』にこうあります。
「願わくは世尊の如く、慧眼第一浄なることを得ん」(頁197行4)
仏さまのように智慧の眼を我が眼とすることを願っていますと。
そして、その智慧の眼=慧眼を得るには、「第一浄」であることと書かれています。つまり、仏眼を得るには、心が清浄にならなければ得られないと。
それは、まるで雨が降った後に、通りに水たまりができ、夜になってお月さまが出ると、その水たまりの水面にはっきりとお月さまが映るようなものです。
雨水の水たまりは、泥で濁っています。しかし、それをじっとそのままにしていると、泥が沈み、清水のような水たまりとなり、その水面はまるで鏡のようになるのです。
鏡は、少しでも曇っていたら、映りません。鏡も、曇りを除くことによって、あらゆるものをありのままに移すことができるのです。
心の曇りを除く、私たちの心の中は、まるで雨水の水たまりのように、泥(妄想、貪欲)がうごめいているのです。その泥を鎮めること、それが心の曇りを除くことで、私たちの心はまるで鏡のようにすべてをありのままに移すことができるようになる。
心を清めることと、仏眼に近づくことは、同じ方向で正比例しています。故に、私たちの第一の修行目標は、我が心を清めることとなってくるのです。そうすると、徐々に仏眼に近づくことができます。修行が進むにつれ、それを実感することとなるでしょう。
仏法というのは、苦の解決方法とそれを実現するために仏眼を身に着ける修行の順序次第が説かれているのです。
私たちが仏法を学び、身に着けるという修行は、この仏眼を我が眼とすることと言えます。
その仏眼を身に着けると、あらゆる悩み、苦を解決できるようになり、人さまの悩み、苦しみも解決してあげることができるのです。悩み苦しんでいる人にとっては、そこから抜け出すだけでも救われと言えるでしょう。
仏さまの仏眼=智慧は、永遠の過去から永遠の未来までも見通すと言われています。我々も修行次第ではその境地まで行くことができると仏さまはおっしゃってくださってますが、「法華経行者は20年先が見える」と言われたものです。せめて、そのくらいが見えるように修行を重ねてまいりたいものです。
◇仏眼を自分のものに出来たら、何が出来るか
<事例―1>
ある時、一人の男性が相談に見えました。その男性は、室内にもかかわらずサングラスをかけています。その男性が言うには、「私はサングラスが外せないのです。それは、眼がおかしいのです。私の眼は、本来黒目のところが白くなって、見た人が怖がるぐらい奇妙な眼になってしまったんです。それはなぜでしょうか?」と尋ねます。
「本来、黒い眼であるところが白くなって人が見たら気味悪がるんだから、あなたは人に見られたら恥ずかしいことを陰でしたんじゃないですか?」と問うと、
「私の仕事は電気の集金係で、いろんなお宅におじゃましています。実は、その中でお金を払えない貧乏な家庭があり、お金が払えないんだったら、待ってあげるからその分、身体で払ってもらおうとその奥さん方に関係を迫り、そういうことを長年やってきました」と。
仏法を身に着けると、見えてしまうんです。それを仏眼といい、すべてを見通してしまう。理論的に言いますと『諸法実相』で、すべてのありのままが眼に映ってしまう。それは、仏法の根本理論を縁起の法則と言いますが(縁起観)、「これ有ればかれ有り、これ無ければかれ無し」と因果の理法、因縁果報というのが仏法の根本原理なのです。さすれば、「善因全課、悪因悪果」で善い結果の原因は善い原因が有り、悪い結果には悪い原因がある。それが見えてしまうことを諸法実相、仏眼というわけです。
<事例―2>
あるご婦人がやはり相談に見えて、こうおっしゃいました。
「私には、三人の息子がおります。下の二人は学業も優秀で、二人とも教師になりました。ところが、長男は生まれながらに障害を持って生まれ、歩くのも不自由で言葉も話せず、いつも涎を垂らしています。この子は、我が家の恥です。この子さえいなければ、私の家は幸せなのに・・・この子さえ、死んでくれたら・・・」
「あなたの家には、床の間がありますか?」
「はい、あります」
「床の間は、お客様が来られたらご案内して、誰が見ても恥ずかしくないようにきれいです」
「はい、そうです」
「あなたの下の二人の息子さんは、家に例えると床の間です。誰に見せても恥ずかしくない、自慢の出来るところです」
「はい」
「ところで、あなたの家にはトイレはありますか?」
「はい、ございます」
「トイレというところは、住む家の人たちが心地よく過ごせるように汚いものを喜んで受け止める役を担っているところですね」
「はい」
「あなたの長男は、あなたの家のトイレにならせていただきますと願って生まれてきた人なんですよ。あなたの家の業、因果からすると、三人ともそれぞれ障害を持って生まれてきてもおかしくなかった家系です。だからあなたの長男は、生前、それを知って、後から生まれてくる弟たちの悪い因果をわたしが一人で受け止めさせていただきたいと願って生まれてきたんです。だから自分自身は重い障害を持ち、弟二人は立派な人間として役を果たせる。あなたの長男は、大菩薩様なんです」
その婦人は、泣き崩れました。しばらく泣いて、
「私は鬼のような心を持っていました。この子さえ、いなければ・・・なんて。この子は、我が家の宝物だったんですね」
そのお母さんは、長年、この長男を押し入れに押し込めたように、人目に触れないように家に囲っていましたが、それからは車いすに乗せて、長男と散歩を楽しむようになられました。
人の因果とは、眼に見えるものだけではなく、全く眼に見えない、深い深い「業」というものがあります。それさえも見極める智慧、仏眼、それが諸法実相なのです。
<事例―3>
インド・カルカッタにある「マザーハウス」にボランティアに行ったときの出来事です。ノーベル平和賞をいただかれたマザーテレサが始めた施設でのボランティアに20人ぐらいの青年を連れていきました。
その青年の中の一人の女性が、突然、声が出なくなったと、夜、相談に来たのです。声が出ないので、私の質問に彼女は紙に書いて返辞をする筆談です。
「あなたは、突然、声がでなくなったんだから、いままで心に秘めて誰かに聞いてもらいたいけど人に言えないというものを心の秘めていることがあるんじゃないの?」
筆談「言ってもいいですか?」
「あるんですね」
筆談「あります。でも、言えない」
「・・・」
筆談「どうしても、言わないとだめですか?」
「声が出なくなったことが、仏さまがあなたを救ってあげようと出された方便なんですよ」
筆談「はい」
「旅の恥はかき捨てというから、辛い思いをずっとしてきたんでしょう。心の暗闇をインドで落としていこうよ」
筆談「わかりました」
彼女は、じっと紙に目を落としたまま、動きません。しばらくして、
筆談「実は、中学二年生から高校まで、父に性的関係を求められてきました。お母さんにも言えなく、誰にも言えなくて、それが恥ずかしくて、辛くて、死んでしまいたい・・・」
私は、何も言えませんでした。ことの重大さ、彼女の心の傷の深さ・・・ショックが大きすぎて、気が付くと、私も泣いていました。涙がとめどなく流れました。彼女がどんな思いでこれまで生きてきたのか・・・
ただ、ただ泣いて、泣いて、涙が流れてしょうがなかった。すると彼女が、
筆談「泣かないでください」と。
「生きていてくれて、ありがとう。よく今まで、自ら命を絶とうとしないで・・・」
そう言うのが、精一杯でした。
筆談「何度も、自殺しようとしました。でも、できなかった」
「辛い思いをずっとかかえたままで、辛かったね。過去の出来事は変えられない。でも、ここでその過去の出来事を全部捨てて、日本に帰ろう。だからあなたは悪い夢を見たんだ、いいか、事実あったことではなく、悪い夢を見た。その悪い夢を今日、一緒に泣いて、涙で洗い落そう」
そう彼女と話して、二人で泣きました。
翌日、彼女は朝一番、私のところに飛んできて、「声がでるようになりました」と明るい笑顔で来てくれました。そして、
「これから、明るく生きていけそうな気がします」
と言ってくれました。
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